Racing Driver
Tetsuya Ota
レーシングドライバー
太田哲也
 
 
 


ル・マン24時間レースでのワンシーン 太田哲也選手は、ル・マン24時間レース、全日本GT選手権など、ツーリングカーを中心に国内外で活躍している日本の中堅レーシングドライバーです。中でも、レースシーンで数々のフェラーリを乗りこなしており、日本を代表する"フェラーリ使い"としてフェラーリ本社にも認められている存在です。
 日本のトップ・レース・カテゴリーである全日本GT選手権にもフェラーリF40やF355で参戦し、チャンピオンを目指していました。

 また、モータージャーナリストとして自動車雑誌のカー・インプレッションでも多くの実績を残しています。特にスポーツカー雑誌"Tipo"での輸入外国車(ことにフェラーリをはじめとしたスポーツカー)のインプレッションにおいては、その明るい人柄とレースを通じて得た技術を基にした的確な評論で、多くのファンを持っています。




 その太田哲也選手は、1998年5月3日に富士スピードウェイで開催された全日本GT選手権第2戦の決勝レース、スタート前のローリング走行中に発生した多重衝突事故に巻き込まれてしまいました。
 雨のレース、しかも事故後天候不良で結局中止になるような視界不良の中、他車が引き起こした追突事故を避けるため、彼は自らマシンをコース外に出しました。だが、そこにはすでにスピンアウトし、止まったままのマシンがいたのです。  

 フェラーリF355は、衝突して大破、炎上しました。太田選手は、炎上する車内に1分以上取り残されました。このように十分な消火、救出活動を受けられなかった彼は、顔面と右半身を中心に大やけどを負い、2週間以上にも及ぶ危篤状態に陥りました。
富士での炎上事故 幸い、一命はとりとめたものの、やけどの後遺症は大きいものでした。医師からは全治3年の宣告を受け、右手、右足は補助なくは動かすことすら困難と言われました。さらに追い打ちを掛けたのは、顔のやけどでした。鼻やまぶたがほとんど消失した状態。彼自身も家族も大きな衝撃と困難と向かい合うことになりました。

 ですが、レーシングドライバーとして鍛えた肉体と精神、そして温かい家族や友人、ファンに支えられ、自らの生きる価値見いだし、また医療スタッフの優れた技術もあり、社会復帰へ向け、治療とリハビリの日々を過ごしていきました。

 そして、2000年11月には、彼自身がレース生活の一歩を印した筑波サーキットで、復帰走行を果たしました。スポーツカーとはいえ、ナンバー付きのクルマでのスポーツ走行でしたが、自分の足で歩くことも難しいと言われた彼は、確実に前に向かって走っているのです。
 2001年4月には、事故前に務めていたジャパン・フェラーリ・クラブのドライビング講師として、プロ・ドライバーの仕事も始めました。そして、フェラーリのシートにも帰ってきたのです。

 同年5月には、事故からクルマのドライブが出来るまでの日々を綴った本『クラッシュ 絶望を希望に変える瞬間(とき)』を書き上げました。フェラーリでの走行後、もてぎのスタンドにて自ら死を選びそうになるほどの絶望の中から、少しずつ希望の光を見つけだしていくこのストーリーは、レースやクルマというカテゴリーを越えてヒューマン・ノンフィクションとして多くの人に感動を与え、ベストセラーとなりました。

 現在もまだ彼は治療とリハビリが欠かせません。
 ですが、雑誌のカーインプレッションの再開など、着実にプロ・ドライバーとしてカムバックしています。また、愛すべきレースの世界のために、誤解を受けることも覚悟で事故の責任を追及する民事訴訟(裁判)も始めました。第2の太田哲也を生み出さないために、レースがよりコンペティティブで観客にとってもエキサイティングなものになってほしいとの、決断でした。
 彼の右足、右手は、まだ過酷なレースに耐え、競えるまでには回復していません。また、精神に負った傷害も決して軽いものではなく、これですぐにレース復帰とはいかないでしょう。

 しかし、もはやそこに絶望はなく、ゆっくりであっても彼は希望に向かって進むことでしょう。

 
  文責:古屋 知幸/写真提供:Tipo    






 太田 哲也 Tetsuya Ota
生年月日 1959年11月6日
出身地 群馬県前橋市
身長/体重 170cm/63kg
血液型 Rh+ A

■主なキャリア
1982 レースデビュー
1984 筑波FJ1600Bチャンピオン/FJ1600Aシリーズ2位
1985 筑波FJ1600Aシリーズ2位/鈴鹿FJ1600Aシリーズ3位
1986 全日本F3シリーズ9位(2位2回、P.P.1回)
GC最終戦スポット参戦
1987 全日本F3000、GC、グループAに参戦
1988 全日本F3000、GC、グループAに参戦
1989 GCシリーズ10位、グループC(マツダ767B)
1990 全日本F3000、グループA、グループC(マツダ787)
1991 全日本F3000、グループA、グループC(マツダ787B)
1992 グループA、N1耐久(マツダRX7)
1993 ル・マン24時間(FERRARI 348LM)
鈴鹿1000km(LOTUS ESPRIT GT)総合6位/クラス3位
バレルンガ ヨーロッパGT(FERRARI 348LM)
1994 ル・マン24時間(FERRARI 348LM)
鈴鹿1000km(FERRARI 348LM)
全日本GT選手権(FERRARI F40)第1〜3戦連続3位入賞
1995 ル・マン24時間(FERRARI F40GTE)
鈴鹿1000km(FERRARI F40) 総合6位
全日本GT選手権(FERRARI F40)
1996 ル・マン24時間(FERRARI F40GTE)
鈴鹿1000km(FERRARI F40GTE)
全日本GT選手権(PORSHE911GT2)
1997 全日本GT選手権(FERRARI F355GT)シリーズ7位
同GTオールスター戦(ツインリンクもてぎ)優勝
1998 全日本GT選手権(FERRARI F355GT)
5月:同第2戦富士でクラッシュに遭遇し、瀕死の
重傷 を負う。
その後、治療とリハビリを続ける。

1999

5月:クルマを運転する。
2000 11月:サーキット走行。
2001 4月:フェラーリを駆る。
5月:『クラッシュ』を出版。